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縦書きか横書きか

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 メモや下書きを書くとき、僕は横書きしている。いつ頃からそうだったのか、もはや自分にもわからないほどのずっと以前から、メモや下書きのようなものすべてを、僕は横書きにしてきた。あらゆる文章を横書きするわけではない。メモや下書き、あるいはそれに準じるものだけを、横に書いている。いつからそうなったのか自分にもわからないのだから、最初からそうだった、と思うことにしている。

 メモや下書きを、なぜ、横書きするのか。僕なりにいろいろと考えてみた結果、その段階ではまだ緊張していないからだ、という結論にたどりついた。緊張していないとは、メモをとるときにはたるんでいるとか、下書きはいい加減な気持ちで書いている、といったことではない。束縛されずに自由でいる、というような意味だ。アイディアを並べたり整理したりしている段階だから、頭の働きは出来るかぎり自由であったほうが好ましい。だからそのような自由を自分に確保するために、メモや下書きなどを、ずっと以前から、僕は本能的に横書きしてきた。

 本番の原稿として文章を書いていくときには、原稿用紙に万年筆や鉛筆で、縦に手書きしてきた期間が、三十五年ほどはあるだろう。いまはワード・プロセサーを使っている。画面の表示は二十字詰めの横表示だ。これはこれでいっこうに構わない。この段階はまだ仮のものだ、という意識でいるようだ。縦の表示にすることも出来るけれど、視線の移動という負担は、横表示にしておいたほうがはるかに軽い。

 紙にプリント・アウトするときには、特別な事情がないかぎり、縦書きでプリントしていく。横置きにしたA4の紙に、二百字詰めで三十行がプリントされる。そしてこれが、僕にとっての初校となる。これに訂正や修正を自由にほどこす。この段階で初めて、僕は緊張する。完成原稿としての文章にする、という緊張だ。緊張と言っても、心身ともに固く構えてゆとりをなくしているような状態ではなく、書き言葉で別世界を作っていく作業ぜんたいにかかわる緊張、とも言うべき種類の緊張だ。校正や修正をほどこしたプリント・アウトは、書き手である僕にとっての、初校の朱字(あかじ)となる。ワード・プロセサーを使っているがゆえに、プリント・アウトして初校の朱字を入れる段階が、メモや下書きを離脱したあとの、緊張を要する縦書きの段階となっている。

 活字になる、という最後の段階も、縦書きが圧倒的に多い。雑誌に掲載されるときも、一冊の本になる場合も、例外はほとんどなしに縦書きだ。原稿を横書きして、発表されるときも横書きであるという場合は、発表が横書きだからそのことに合わせて仮に横書きしているが、頭のなかでは縦書きで書いている、と僕は思う。最終的な発表のかたちが縦であろうと横であろうと、そこに違いはまったくない。しかし、書くにあたっての最終段階では、日本語の文章はすべて縦で書きたい。

底本:『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス 2004年

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2004年 『自分と自分以外ー戦後60年と今』 日本語 書く 言葉
2017年4月14日 00:00
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