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東京オムライスめぐり

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 オムライスを一度だけ食べた記憶がある。昭和二十一年、あるいは二十二年、絵に描いたようなただの子供だった僕は、百貨店の食堂のようなところでオムライスをスプーンで食べた。スプーンが僕の口には大きすぎたことが、オムライス記憶の背景となっている。それから旗だ。小さな旗を貼りつけた楊枝がオムライスの楕円形の山の頂上に刺してあった。ユニオン・ジャックのような、見栄えのする旗だった。

 僕の想像でオムライスを作ると、ケチャップをまぶして炒めたご飯にグリーン・ピーズをかすかに散らしたかのように混ぜ、卵を薄く焼いたものであるという前提の薄い黄色な皮膜で楕円形にくるむ、ということになる。このオムライスに、幼い僕は低い評価をあたえた。まずかったのだ。時代を思えばこれは当然だろう。いまは多少の進化をとげていると思いたい。

 商店街にある中華料理店のウインドーの、ラーメン、餃子、炒飯などを写真に撮ることに僕はこれまで気をとられすぎていた。握り寿司、そしてカレーライスの料理見本も、僕をおおいに誘惑した。だから餃子、ラーメン、カレーライス、炒飯、握り寿司などの見本を、僕は東京のさまざまな場所でたくさん写真に撮った。オムライスが目に入らなかったわけではないのだが、なぜかオムライスは撮らないままだった。

 たいへんに暑かった二〇〇四年の夏、十条や赤羽、あるいは高円寺や阿佐ヶ谷などの商店街で写真を撮り歩きながら、僕はオムライスに目覚めた。なんとも言いがたい魅力ある被写体ではないか。僕はこれからはオムライスも撮る。

 消滅に向けてゆるやかに歩み始めてすでにかなりの時間が経過しているかとも思うけれど、東京はまだ充分にオムライスの街だ。オムライスを求めて写真機とともに、東京の片隅を今日はここ、この次はあそこと、僕は訪ね歩く。見つけて写真に撮るだけではなく、ときどきは食べてもみる。一眼レフをテーブルに置き、僕はひとりでオムライスを食べる。スプーンは大きすぎないか。旗は立ててあるか。

初出:月刊「日本カメラ」2004年12月号
底本:『白いプラスティックのフォーク──食は自分を作ったか』NHK出版 2005年

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2005年 『白いプラスティックのフォーク──食は自分を作ったか』 オムライス 写真 東京 食品見本
2017年3月29日 05:30
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