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梅ヶ丘まで歩いて七分

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子供の頃から三十代の終わり近くまで住んだ場所から、小田急線の梅ヶ丘駅まで、歩けば七分くらいだったと思う。故郷のすぐ隣が梅ヶ丘だ。いまでもそのくらいの親近感は続いている。

高校生の頃に自転車で学校へいくには、自宅を出てすぐに、現在に則して言うなら環状七号、宮前橋交差点を、横断した。当時はまだ、少なくともこの交差点の近辺では、環状七号など影もかたちもなかった。横断してそのまま直進すると、小田急線の南側を線路と平行している道に合流し、すぐに梅ヶ丘駅前をとおり過ぎた。

駅の西側を踏切で越えていた道と交差するから、そこを左折して道なりにいく。梅ヶ丘二丁目、明正高校の手前で左折し、そこからも道なりに自転車を呑気に走らせると、やがて経堂駅の東側に出た。ここも踏切で越えていたのだが、いまは立体交差に変わっている。踏切を越え、おなじく道なりにいく。千歳のガス・タンクと呼ばれているあのタンクは、僕が高校生の頃に工事が始まって完成した。

このタンクのあたりはたいそう牧歌的な道および光景だったが、現在はその面影などどこにもない。現在では高校へ着く前に環状八号を越えなくてはいけないが、この環八も当時はまだなかった。幅の広いわりに自動車はめったに走らない道が僕の記憶のなかにあるが、あれが環八の原型となった道ないしは道筋なのだろう。

自宅から高校まで自転車で二十二、三分だったと思う。途中ですれ違う自動車は多くて二台、そしてそのどちらもが路線バスであるという、そんな時代だった。左折と右折を一度ずつするとき以外、ハンドルから両手を離したまんま走ると、やや緊張があって楽しかった。

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(2017年3月28日掲載、『東京22章』2000年所収)

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2017年3月28日 05:30
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