アイキャッチ画像

赤い矢印文化圏

LinkedIn にシェア
LINEで送る
Pocket

 東京のどこを歩いても、とにかくいたるところに赤い矢印がある事実を認識している人は、思いのほか少ないのではないか。数は多いしどこにでもある、そして多数の赤い矢印がどこにでもあることが当然のようになってもいるから、視覚ではとらえていても気づくことはもはやなく、したがって無数の赤い矢印は、人々の意識にいっさい残らない。

 赤い矢印の九十五パーセントまでは営業を目的としたものだ。私の店はあっち、すぐそこ、前方の角を右へ曲がって百メートルというふうに、自分の営業地点を道ゆく不特定多数の人たちに指し示している。残りの五パーセントは、税務署や区立図書館、区役所、市民ホールなどがどこにあるかを、多くの場合きわめて不正確に教えるためのものだ。
      

170323_1

      
170323_1

 東京の光景を写真に撮っていると、かなり早い時期に、赤い矢印を意識するようになる。意識するとそれを撮りもする。捨てがたい光景の主役だったり脇役だったりする赤い矢印が、撮りためた写真のなかに蓄積されていく。写真に撮った赤い矢印を、僕はたくさん持っている。赤い矢印に僕は不自由していない。もっと欲しいなら、写真機を持って街を歩けばいい。どこにでも、そしていくらでも、赤い矢印はある。

170323_4  170323_2

 東京のあちこちを写真に撮る僕が、いまひとまず到達している結論を披露するなら、戦後の東京の宿命は廃墟ないしは瓦礫の山である、ということだ。以前からそこにあったものを完全に壊して消し去り、新しいものを作る。そしてそれもすぐに壊し、次のものを作る。東京は常に壊されている。壊され続けるのが東京だ。いきつく果てが廃墟や瓦礫の山であるのは、理の当然でしかない。

 関東大震災と東京大空襲。二度あることは三度ある、そして三度めこそ正直、つまりそれが最終回。東京が廃墟あるいは瓦礫の山となったとき、そこで最後まで健在なのは、無数の赤い矢印ではないか。かつての東京という瓦礫の山に埋もれた無数の赤い矢印が、指し示すところをすべて失ったままに、鋭く尖ったその先端に、赤い全身のエネルギーを集中させ続けていることだろう。

170323_5

170323_6

170323_7

170323_8

(2017年3月23日掲載、『東京22章』2000年所収)

タグで読む03▼|東京を考える/東京から考える

Tokyo_タグで読む_バナー画像

関連エッセイ

2月16日 |この貧しい街の歌を聴いたかい


3月3日 |ただひとり東京と向き合う


3月16日 |豆腐屋はいまもまだある


3月20日 |大変なときに生まれたね


5月1日 |そして国家がなくなった


6月13日 |写真を撮っておけばよかった


2000年 『東京22章』 写真 東京
2017年3月23日 05:30
サポータ募集中