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彼らが愛する女性たちの外観

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ー 1 ー

 『エスクワイア』のアメリカ版一九九一年八月号に、写真によるアメリカ女性のポートフォリオ、という記事があった。さまざまな写真家に依頼して撮ったアメリカ女性の写真二十六点が、三十ページにわたってならべてあるという、写真による特集だ。表紙にはWomen We Loveとうたってあり、本文でのタイトルはHow She Looksとなっていた。

スクリーンショット 2017-02-19 5.23.38
Esquire|AUGUST1991|
Esquire Classic|アーカイヴより]

 あまりシャープな企画とは言いがたいが、写真でいっきょに三十ぺージを埋めるのは、編集するほうとしては楽と言えば楽だろうし、見るほうの読者にとっては、圧倒的に男性が読者だから、女性たちの写真は見て楽しいにちがいない。僕もそのページを見た。興味深くそのぜんたいを僕は眺めた。『エスクワイア』では毎年おなじ企画を試みていて、今年で四回目になるのだそうだ。

 二十六点の写真のうち、年配の女性の写真は二点しかなく、有名でもなんでもない普通の人をごく日常的に撮った写真は二、三点だった。そのほかはすべて、なんらかのかたちで名のある、若くて美しい女性を、撮影したものだった。出来上がった写真を写真作品としようと意図したものが多く、そのような写真はすべて非日常的な設定のなかで撮影されていた。その点からしても、写真によるアメリカ女性のポートフォリオとしては、×印をつけざるを得ない出来ばえだった。基本的によろしくないものを基調として撮影された写真が多いからだ。よろしくないものとは、男たちはこりもせずいまだにボーイズ・クラブを続けている、というようなことだ。

ー 2 ー

 非日常的な設定のなかで撮影され、したがって出来たものが写真作品として独立しているものを観察していくのは、なかなか興味深いことだ。もともとたいていの演出には耐え得るような美しい被写体を、プロの技術を動員してさらにフォトジェニックに撮った写真だ。そしてそのどれもが、いまのアメリカの女性をテーマないしは素材にしていた。

 女性を撮った写真としてはきわめて偏った写真であるだけに、それらを入念に観察していくと、アメリカが持っているアメリカらしさのうちのある部分が、やがてはっきりと僕には見えてきた。

 とっくにわかっていることだし、多くの人がすでに知っていることだが、アメリカはたいへんに写真的だという事実を、僕はここでもまた確認することが出来た。写真的であるとは、イメージ的であると言ってもいい。観念的でもいいだろうし、理念的と言ってもいい。正義でもいいし、もっと現実的に言うなら、ルールでもいいだろう。これがなくなったならアメリカがアメリカという国であることの意味が消えてしまうような、この上なく大切ななにかだ。いまはどこにもまだそれはないけれど、最終的な到達目標としてかかげた理想のようなもの、と言ってもいいだろう。

 そしてそれは、非常に強く観念的であると同時に、思いのほか写真に撮りやすい。だからアメリカは、アメリカらしいもののほとんどすべてが、フォトジェニックだ。

 アメリカが自分のものとして持っている時空間のなかには、いま僕が書いたような幻想的な時空間が大きくかかえこまれている。その幻想は、多くの人たちの胸のなかで、いまも鼓動を続けている。アメリカは幻想の物語のなかを生きている。写真ポートフォリオとして女性を撮ると、多くの場合きわめて非日常的な写真が出来てくるということは、アメリカらしさにおいてたいへんに正しい。

ー 3 ー

 アメリカは男女間の性差がたいへんに大きい国だと、僕は子供の頃から思っている。社会のなかで割りふられた役割の上ではもちろん、見た目つまり外観的にも、アメリカでの性差は世界でもっとも大きいのではないだろうか。正式な場面になればなるほど、外観の性差は大きく開くようだ。

 肯定的な意味でも、そして否定的な意味でも、アメリカは女性を強烈に特別扱いしてきた国だ。当然のことだが、大きな性差はそこから生まれてきた。歴史をさかのぼるなら、たとえば宗教上の理由が巨大な壁のように立ちはだかっていて、その壁の陰に性差も作り出されたものなのだとわかるのだろう。

 国の創成期から現在にいたるまで、アメリカの女性たちはすさまじい働き手だった。働き手としての強力なパワーに、いまもまだ存在し続ける大きな性差を重ね合わせた上でアメリカの女性たちを見ると、ものすごい、というような言葉を使いたくなるほどに強烈に、不思議な感銘を僕は受ける。そしてその不思議さは、じつは男性たちのほうから発生してくるものだ。性差が大きければ大きいほど、つまり女性が女性ときめられていればいるほど、男性は男性として際立つ。アメリカは、男性として出来るだけくっきりと際立っていたいと願う男性たちによる、女性に大きく依存した国だ。

 男性たちは、たいへんに窮屈なところに自分たちを追いこんだ上で生きてきた。そしてすくなくともこれまでは、そのことに気づかずにいた。その窮屈な側に視点を移して女性のほうを観察すると、女性たちは男性たちよりもじつは遥かに大きく自由だ。いろんな存在に変化していくことが出来る、という意味での自由さにおいて、女性たちは男性たちをすでに大きく引き離しているようだ。アメリカの女性たちの、質的な意味での変身の可能性の大きさを、僕は『エスクワイア』の写真特集にすら直感的に感じた。

ー 4 ー

 女性の生きかたは多彩なのだ。男性に比べると、遥かにそうだ。男たちは、こうでなければ男である意味がない、と自分できめた狭い窮屈なところに自分を押しこんで、単純で一本調子な生きかたをしてきた。これではいけない、と気づいた男性も少なくはないが、なににでもなれそうな可能性は、いまのところまだ女性たちのほうが多く持っている。

 加えてアメリカは、変化の国だ。アメリカは変化がなければならない国だ。変化を自分にとっての基本的な力に変える国だ。あるいは、国の基本的な性質として、変化が遺伝子的に組みこまれている国だ。

 このような文脈での変化とは、ご用済みとして過去になったものすべてを、ごっそりと根こそぎ捨ててしまい、そのあとに当座の間に合わせを無秩序に作り、それも過去になったらぜんぶ捨ててしまう、というような変化でない。絶対に変化しない部分を改革し補強してさらに強くするために、変化する部分が内部から自発的に変化していく、という性質の変化だ。

 とにかくまずなによりも先に個がある、という確立された個人の真の個性は、変化や多様性などのための、もっとも有効で大切な土台だ。そしてその個は、アメリカでは新しいことに挑戦するのが、本能的に大好きだときている。挑戦は変化への第一歩だから。

 変わるべき部分が内部から自発的に変化していくとは、要するに国の内部から新しい国が出来ていくのとおなじだ。外部から入ってくる変化要因のもっとも端的なものは、アメリカが大量に受け入れ続ける移民だ。ある限度を超えて社会異質要素が混在しあうと、その社会は立ちゆかなくなる、という説が立証されていくように見えてじつは、変化と多様性は、次の時代を文字どおり内部発生的に、作っていきつつもある。

ー 5 ー

 女性の権利や位置を高めるための、社会的な広がりを持ったさまざまな運動において、いまのアメリカは明らかに世界をリードしている。なぜアメリカがリードしているのか、よく考えてみるといい。このような社会運動は、女も男と同じ仕事をするなら給料もおなじにしましょう、といったことではない。アメリカが自分らしさの核心として持っている幻想の時空間のなかで、必然性をたたえてあるとき燃え上がった理想の炎だ。

 次の時代の質を直感して、それにそなえるために、みずからの内部の草の根から、自然発生的に生まれてきた変化だ。なににでもなれる、という生きかたあるいはありかたへの、準備段階だ。なににでもなれるとは、どんな責任でも引き受ける、ということだ。

ー 6 ー

『エスクワイア』に掲載されたアメリカ女性たちのポートフォリオを観察して気づくのは、アメリカの女性たち一般が、なににでもなれそうな可能性を潜在的には持っている、ということだけではない。彼女たちのきわだった特徴である。楽天的な世界観、そして行動の文化という価値観なども、はっきりと感じ取ることが出来る。

 楽天的であることは、自由というものの機能と根本的にかかわってくる。自由を自分のものとして獲得していて、それが社会からも認められているとき、人はおおむね楽天的になる。そして楽天的であるとき、自由というものはもっとも大きく有効に、その人に対して、そして周囲に対して、作用していく。

 行動の文化は、そのような自由の機能の一部分だ。新しさ、つまりより良く修正された理想にむけての変化のための行動を人が起こすと、その人もそして周囲も、変化せざるを得ない。そしてその変化の主体は、あくまでも個人だ。『エスクワイア』の写真特集のなかのアメリカ女性たちは、その誰もが、ごく当然のこととして、たいそう個性的だ。

 アメリカが国外へ持ち出し、世界じゅうでその有効性を普遍へと広げていくものを担う役割を、次の次くらいの時代では、女性たちが引き受けるような気がする。もしそのようなことが起きなかったら、アメリカは単に図体が大きいだけの二流国となるだろう。国外へ持ち出して世界じゅうに対して普遍的に有効となるもの。それを可能性としていちばん持っていそうなのは、いまのところアメリカの女性たちだ、と僕はここに書いておこう。

『ノートブックに誘惑された』角川文庫 1992年所収
底本:片岡義男エッセイ・コレクション『自分を語るアメリカ』太田出版 1995年

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2017年2月19日 05:30
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