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南の海の小さな島に誘惑されて

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 地球儀の南側に横たわる巨大な海のまんなかの、小さな小さな島にひとりで到着してホテルに入り、部屋のテラスから海を見ながら僕は水を飲む。遠いところへ来たなあと、つくづく僕は思う。ジェット旅客機の定期運行システムとそれを支えるもの、たとえば燃料が世界から消えたなら、僕の残りの人生の時間すべてを費やしても、東京にあるいつものあの場所へは二度と帰ることが出来ないほどに遠いところなのだという真剣な思いを、瓶のなかで冷えているミネラル・ウオーターとともに飲み下すときの知的としか言いようのない快感は、なにものにも替えがたい。

 遠いだけではない。圧倒的に深い。まず海が深い。途方もないその深さの底から、細長い円錐が一本、のび上がっている。海の上に出たその円錐の頂上が、どうにかこうにか、僕がいる小さな島を作っている。日が暮れていく。夕方が来る。ずっと沖の海に停泊している豪華客船の影が長く海の上をのびて来て、島ぜんたいを影のなかにしてしまう。太陽が沈む。宇宙について思いはじめる。空の深さがのしかかって来る。絶海の孤島、とはよくぞ言った。それはまさにこの島のことではなか、などと思いながら僕は夜の空を仰ぐ。

 ダーク・ブルーの満天の星は、どれもみな思いっきり遠い。何億光年もまえの光をいま地球で見ている、という星はいったいどれだろうか。宇宙が出来た瞬間の、ビッグ・バンの残響が宇宙の果てにいまもあるというけれど、などと初等天文学に我を忘れていると、とても眠るどころではないのだが、いつのまにか心地良く眠ってしまう。

 小さな島の日常の片隅に、僕は自分のためのほんの仮の居場所をみつける。そしてそのなかにひっそりといながら、かなりの速度で島の日常になじんでいく。日が経過していく。なじむほどに、日常は愛しさを深めていく。その日常に対して、なんの責任も問題かかえてはいない、完全な部外者の感傷だ。

 いつもの東京を、ふと思い出す。いつだったかかなり以前、たしか夢に見たはずの場所のように、東京は遠い。宇宙の果ての次に、それは遠い。この島での滞在が終わると、本当に自分はあんなところへ帰るのだろうかと、僕は不思議な気持ちになる。

 帰る日はやがて来る。島にはいつものとおり日常があり、そのなかを日常の時間が流れている。そしてそこから、僕だけが、ふっと抜け出ていく。おそらく誰にも気にとめてもらえないまま、誰にも気づかれないまま、僕は島の日常を出て飛行機に乗ってしまう。それがなかったならその島の土と化するほかないジェット燃料に支えられて、僕は高度一万メートルのところを十時間も飛んで、いつもの場所へ戻っていく。

 これはいったいなになのだろうかと、哲学的なことを考えようとする自分を、僕自身が哲学から押しのけ、遠ざける。このときの屈折した快感も、僕はたまらなく好きだ。

(『ノート・ブックに誘惑された』1992年所収)

今日の一冊|『アイランド・スタイル』

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小説の前半部は、夜の海だ。星空と月明かりがあり、その絶妙の光の中で「僕」は海と、この島と、サーフボードが完璧に調和した幸福に身を委ねる。

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1992年 『ノート・ブックに誘惑された』 自分
2017年1月12日 05:30