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「理解」などするからいけない

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 日本では英語の勉強は中学からはじまることになっている。しかしそれ以前から、一見したところ単純な単語なら、すでにいくつも知っているのが普通だ。「犬」は dog、「本」は book、そして dog は「犬」、book は「本」と、記号的な意味の一部分を対応させるかたちで、じつに多くの幼い子供たちが、英語の単語を知っている。

 中学から学校の教科としてはじまる英語の勉強の内容は、英語の単語を日本語に対応させ、日本語の単語を英語に対応させるという、じつに浅薄な単語主義および意味の対応主義の強制だ。大学にいたるまで、英語の勉強は、意味のごく一部分を対応させるだけですべてわかったとする、単語対応主義でつらぬかれている。

 dogという言葉によって認識される世界とはどのような世界なのか、奥行きのある思いがまったくおよんでいないのが、大多数における通例だ。そしてその通例を、ほとんどの人が疑わない。dog は「犬」だと思ってしまうし、「本」は book だと思いこむ。それ以上には認識の触覚がのびていかないような教育を、外国語の勉強として受けとめる日々が続く。

 人と話をしているとき、日本人は、ほとんどなんの意味もなく、「はい」という言葉を多用する。ひとつのことに関して何度もうなずきながら、「はい、はい」「はい、はい」と言う。これ自体にはなんの不都合もないのだが、dog をあっさり「犬」としてしまった習性で、「はい」をyes にすると、やっかいなことになる。

 たとえば会社に勤めて大事な仕事をこなしている人が、アメリカならアメリカへ出むいていき、アメリカ人と英語で商談するとき、日本語の「はい、はい」のつもりで Yes を連発すると、その yes は日本語の「はい」ではなくなる。「イエス、イエス、イエス」と三つもつなげると、場合によっては「わかったよ、いいかげんにしてくれ」という意味になる。

 すこしだけ誇張して言うなら、商談は一種の喧嘩であり、そこで相手に yes と言うと、「承知しました」という意味に理解されてしまう。I see. という言葉も、日本人は得意だ。日本語における「なるほど」や「はあ、はあ」のつもりで I see. と言うと、「おっしゃるとおりです」と相手は受け取る。

「わかりました」という日本語も、「本」は book 方式で I understand. に置きかえて多用すると、「おっしゃるとおりにいたします」という、ほぼ全面降伏になると思っていい。文脈によっては、「二度といたしません」という全面的謝罪にもなる。「犬」は dog でもまあいいとして、イエスや I understand. には細心の注意が必要だ。

 辞書に出ている便宜上の記号的な意味を対応させるだけでことは足れりとしていると、言語のちがいによる世界認識の差異へは絶対に踏みこめない。これが自分にとっていかに大きなマイナスとしてはね返ってくるかに、そろそろ気づかなければ。

底本:『アール・グレイから始まる日』角川文庫 1991年

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1991年 『アール・グレイから始まる日』 会話 日本 日本語 英語 言葉
2016年12月12日 05:30
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