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ノートブックに描いた風景画|5〜8

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 5

 セヴン・アップとドクタ・ペパーの、横長の看板が、上下にならべて、白い壁に釘で打ちつけてあった。

 その二枚の看板のすぐ右わきに、彼は立っていた。背丈は五フィート九インチくらいだろうか。へア・グリースを使ってもののみごとにダック・テイルにときつけた頭のてっぺんが、セヴン・アップとドクタ・ペパーの看板の、さかい目とちょうどおなじだった。

 彼の左には、コカ・コーラの縦長の広告看板が、白い壁にやはり釘で打ちつけてあった。「ドリンク・コカコーラ。あのリフレッシングなニュー・フィーリングをお楽しみください」という文句に、コカ・コーラがいっぱいに入ってまだキャップのしてある瓶の絵が、そえてあった。

 この看板のてっぺんは、彼が着ているまっ白いTシャツの、肩とおなじだった。そして、看板の底辺は、彼がはいているぴったりしたストレート・レッグのブラック・ジーンズの、ひざとならんでいた。

 コカ・コーラの看板のさらに左から、テイク・アウトの注文窓の下をとおって建物の端まで、ホット・ドッグとハンバーガーの、おそろしく下手な絵が、描いてあった。ハンバーガーふたつおきに、ホット・ドッグがひとつ、描いてあるのだ。

 彼は、二十代のなかばに見えた。淡い褐色の肌に黒髪、そしてメキシコ系のハンサムな顔立ちだった。青年らしく無駄な肉のない、すんなりとたくましい体をしていた。太腿にぴったりはりついたブラック・ジーンズは精悍な腰をつつみ、白いTシャツの下で腹は平たく、胸板が厚かった。肩の筋肉が小気味よく盛りあがっていて、太い腕に袖口がほどよく窮屈だった。

 鮮かなブルーのカウボーイ・ブーツをはいた両足をコンクリートの歩道に開きぎみに踏んばり、白い壁に背中をあずけて、彼は立っていた。

 東西へまっすぐにのびている道路の両方向を、彼は見た。西から、まっ赤な乗用車が一台、こちらにむかっていた。

 彼は尻ポケットから青いくしをとり出し、完璧にできあがっているダック・テイルにくしをいれた。一九七○年代前半のオールズモービル・デルタ88の4ドアが、真昼の陽ざしに輝きつつ、ゆっくり彼の前を東へ走っていった。

 

 

 半袖のポロ・シャツに、自転車用のショート・パンツを、彼女は着ていた。

 ポロ・シャツは、白地に横のストライプだった。ストライプは細いケリー・グリーンで、ネイビー・ブルーで縁取りしてあった。ストライプとストライプのあいだは、心地よく間隔が開いていた。

 自転車用のショート・パンツは、カーキー色だ。両サイドのカーゴ・ポケットは、ペダルをこぐときの太腿の動きをじゃましないよう、腰の側面にまでずらせてあった。左側のポケットから、赤いバンダナがのぞいていた。

 彼女の乗っている自転車は、プジョーの10スピードだった。相当に使いこんだものであることを、車体のあちこちにある痕跡が、物語っていた。

 この広い公園のなかを、二時間ちかくまえから、彼女は自転車で走っている。ウォーム・アップの時間をへて、へルメットをかむった激しい走りを合計で一時間つづけ、いまはクール・ダウンの途中の、ゆったりした時間だ。

 自転車のハンドル・バーのまえには、白いかごがとりつけてあった。ナイロンのウィンド・ブレーカーや布製のショルダー・バッグなどが、かごのなかに入っていた。

 両側を林のようになった植込みでおさえられている、曲がりくねった道を、ゆっくり、彼女は走った。くすんだ金髪が、おだやかな風に、うしろへなびいた。

 S字をいくつもつなげたような道を走っていくと、やがて、ゆるやかな下り坂になった。ペダルをこぐ両脚の動きをとめ、彼女はその坂を降りた。

 坂が終り、道が平坦になった。坂をくだってきた慣性が消え、自転車のスピードが落ちはじめて、彼女は、道の前方に一匹の大きな野生のリスを見た。

 リスは、道のまんなかにいた。リスのわきまでゆっくり自転車を走らせた彼女は、ブレーキをかけてとめた。路面に両足をつき、かごのなかのバッグから紙袋を出し、砕いたクルミを、上体をかがめて、リスにあげた。うしろ足で立ちあがり、リスは彼女の指さきからクルミを食べた。

 

 その少年の投法は、セット・ポジション投法だ。

 ボールを投げはじめる始動時の、大きな動きを省略し、速いモーションで投げ、盗塁をふせごうとする投げ方だ。

 このセット・ポジション投法には、ふたつのやり方がある。

 ひとつは、動きを足からはじめ、上半身をその動きのなかにひきずりこむやり方。そして、もうひとつは、上半身から動きをはじめ、下半身がその動きについていく、というやり方だ。

 動きを足からはじめるやり方のほうが、セット・ポジション投法としては、正統的だ。少年は、その正統的なやり方のセット・ポジション投法で、投げていた。

 右投げの彼は、セット・ポジションをとると、まず左足が動く。ひざを高くひきあげ、それから腰を落としてバック・スイングをとり、上半身をしぼりつつ、左足を大きく前へ踏み出すようにのばしていく。

 胸の張りや、ひじからさきに腕が出ていくその出かたなど、力の使い方やフォームは、理想的だ。

 だが、腕を振ってボールをキャッチャーにむけて手から離す瞬間、手首がさきに出てしまう。そのため、始動がはじまったときからボールのためにたくわえてきた力が、ふっと消えてしまう。

 ボールが手から離れる瞬間に、それまでのすべてが帳消しになるという、決定的な欠点を持ったピッチャーだった。

 黙々と投球練習する彼の相手をつとめているキャッチャーは、彼の父親だ。ランニング・シューズにブルー・ジーンズ、そしてダンガリーのシャツを着ていた。べースボール・キャップを、ひさしをうしろにまわしてかむっていた。

 その父親のうしろでアンパイア役をつとめているのは、少年の母親だった。バスケット・シューズにジーンズ、そして濃紺のサテン地のべースボール・ジャケットを着ていた。息子の投げる球を、一球ごとにストライク、ボールと、大声で判定しつつ、いま進行している自分たちの離婚調停について、キャッチャー役の夫と語り合った。

 

 マサチューセッツ州の北海岸、ニュー・ハンプシャー州との州境ちかく、大西洋に面して、ソルズべリー・ビーチがある。

 そのビーチを、ぼくは歩いていた。太陽が西へ深く沈んでいく時間だった。

 幅のある海岸が、長くつづいていた。すでにオフ・シーズンだったので、海岸に人の姿はなかった。

 大西洋の波が、砂浜に寄せていた。海岸と道路とのあいだの、海岸よりすこし高くなったところに、家がならんでいた。避暑に来ていた人たちが帰ってしまったあとで、どの家もいまは空き家だ。

 西へ沈んでいく太陽の光りを道路のほうから受けて、家々の影が砂浜のうえに長くのびてきていた。

 ぼくは、その影に沿って、砂のうえを歩いた。一軒ずつ、影を踏まないよう、波打ちぎわまでのびている影の縁を歩き、屋根の影のてっぺんをまわり、家の影の根もとまでもどってくるのだ。そして、となりの家まで歩き、またおなじように、その家の影に沿って、波打ちぎわへむかう。

 波が深く弧を描いて砂浜の奥までくいこんでいるところに、ひときわ長くのびた影があった。この影を踏まないため、ぼくは靴を脱ぎ、ひざまで波につかって歩いた。大西洋の水は、冷たかった。

➡明日につづく(12月2日より3回連載)。

底本:『ノートブックに誘惑された』角川文庫 1992年

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1992年 『ノートブックに誘惑された』 アメリカ ノートブック 書く 物語
2016年12月3日 05:30
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