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子猫も呆れるノートブックの貯蔵量

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 この子猫はセバスチャンという名の雄猫だ。何年か前、『ここは猫の国』という本を僕は作った。猫を主人公にした何冊もの外国の絵本を紹介した本だ。このときたくさん買った猫の絵本のなかに『セバスチャンの冒険』という作品があり、セバスチャンはその本の付録だった。それ以来ずっと、セバスチャンは僕のところにいる。

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 猫はセバスチャンだけだが、ノートブックはたくさんある。自宅のあちこちに貯蔵してあるのを一堂に集めてみたら、本棚が三っつ、完全にふさがってしまった。高さ百八十センチに横幅八十一センチで、棚板が五枚あるコクヨのホーム・シェルフとかいうスティールの本棚だ。ノートブックがなぜそんなにたくさんあるのか。買うからだ。なぜ僕はノートブックをそんなに買うのか。使うから、つまり必要があるから買うのだが、新たに必要が起きて使うときには、用途にふさわしいものを大量の買い置きのなかから選んで、使っている。

 ストックと言ってもいい、在庫と呼んでもいい、これら大量に貯蔵され寝かされているノートブックのうち、およそ半分はすでにして十年ものだ。二、三年前までは二十年ものがあったのだが、さすがにそれは使ってしまっていまはもうない。大量のノートブックをなぜ十年間も寝かせておくのか。買い込む冊数が使う量をはるかに超えているからだ。ではなぜ、そんなことになるのか。ノートブックが僕を呼ぶからだ。呼ばれれば僕は応える。

 ノートブックならなんでもいい、というわけではない。市販されているノートブック類はどれもみな、それぞれに呼びかけているのだが、僕にはまったく届かない呼びかけも数多くある。どのようなノートブックからの呼びかけなら僕に届くのか、その説明は難しい。ここから何ページにもわたって続くノートブックの写真のなかに、僕に届く呼びかけの核心部分はとらえてある、と自分では思っている。

 サイズにはかなりの幅がある。もっとも大きなものだと、縦三十二センチに横が二十三センチほどだ。いちばん小さいものは、縦十四センチに横が約九センチという、普通には手帳と呼ばれているサイズだ。しかし僕にとっては手帳というものは存在しないから、小さいものはスモール・ノートブックということになる。天糊や天スパイラルなど、ページの上で一冊に綴じてあるものは、ライティング・ブロックあるいはライティング・タブレット、ライティング・パッドなどと呼び、左横で綴じてあるものがノートブックかとも思うが、僕はすべてをひとまとめにノートブックと呼んでいる。

 これらのノートブックから僕に届く呼びかけとは、いったいなになのか。買ってくれ、使ってくれ、という呼びかけだが、では買ったのちに僕はどう使いたいのか。ノートブックからの呼びかけは、ここに直結する。

 これから書くであろう小説のために、ふと思いついたアイディアの断片、小さなフレーズ、会話のやりとり、かねてより頭の片隅にあったことなどを、メモないしは下書きのようなかたちで、何冊ものノートブックのページをびっしりと埋めてみたい、という願望が僕にはある。

 願望と書くからには、それはいまだ実現はされていない。そうしてみたいものだ、とただ思っているだけだ。僕のなかにあるはずの、あるいはあると思いたい、いくつもの小説のための、大小さまざまで内容も多岐にわたる数多くの部品を、走り書きでノートブックのページに書きとめていき、一冊また一冊と、最初のページから最後のページまで、何冊ものノートブックを書きつぶしてみたい、とかねてより僕はひそかに願っている。

 こうして自分のなかから数多くの部品を引き出したなら、今度はそれらを繰り返し何度も読んでは点検し、点検しながら同時にストーリーも手に入れ、そのストーリーをめぐっても、新たなノートブックにその展開を走り書きしていきたい。何冊かのノートブックをこのようにして使いきったなら、一編の小説のかなり詳細な輪郭を、僕は手に入れることになるのではないか。きっとそうなるはずだ、と思っているからこそ、僕に呼びかけるノートブックと、それに応える僕という関係が、そこに成立する。

 なにも描かれていないまっ白なページのなかに、あるときふと、ごく淡く、画像が浮かんでくる。そしてその画像は、少しずつ輪郭をはっきりさせていき、思いがけないディテールを次々に獲得していく、というふうにストーリーが手に入るといい。ノートブックのページのなかに、部品をもとにしたストーリーが、こんなふうに生まれていくことを僕は期待している。こうして何冊ものノートブックを使ったのちに、願望のなかの僕は次の段階へと移行する。

 次の段階では、緻密に丁寧に、細心の注意を払いつつ、新たなノートブックのページに、物語を組み上げ、構築していきたい。そして最後には、あとは書くだけ、という段階に到達したい。そしてそのときには、何冊ものノートブックの全ページが走り書きによって埋められている、という状態が目の前に残る。

 ごくおおまかに書いて以上のような願望が僕の内部に横たわり続けているから、僕の好みと合致するノートブックに店で遭遇するとそのつど、そのノートブックからの呼びかけが僕に届き、それに応えて僕はそのノートブックを買うという、最初の第一歩だけは踏み出すのだ。三つの本棚を埋めているさまざまなノートブック類は、このようにして踏み出した第一歩の、少なくとも十年以上におよぶ累積だ。

 何冊ものノートブックをこんなふうに徹底して使いきりたいという願望は、それをこれまで一度も実行したことがない事実から、立ち上がってくる。小説を書くようになって三十年、それ以前を含めると四十年近くを原稿書きで過ごしてきた僕だが、すべての文章をアドリブでこなしてきた、と自覚している。アドリブと言うと聞こえはいいかもしれないが、現実の問題としては、いきあたりばったりの出たとこ勝負、そのときまかせの見本のようなものだ。結果は問わずプロセスだけを問題にするなら、ある程度までならこのようなやりかたでも、充分に0Kなのだ。

 積み上げたルースリーフ・バインダーの向こうからセバスチャンが当惑ぎみにあらわれた写真の後の60ページ〔下〕に、見開き二ページの写真がある。手帳サイズだが厚さは二十八ミリほどもあり、全三百枚六百ページというノートブックが十冊ある。この厚みと丸背、そしてぜんたいの雰囲気が、僕をこの上なくそそのかす。そそのかされた僕は何年かのあいだに十冊を買いためたのだが、まだ一冊も使っていない。Miguelniusというスペイン製だが、スペインの人たちはこれをどう使うのか。

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 六百ページのなかにいったいなにを書き込むのか。僕にとってはいまだに謎だが、深い魅力をたたえた謎であることは確かだ。

 右ページ〔下〕の写真はMoleskineだ。厚みがあるのはジャーナルと呼ばれているタイプだ。黒い表紙を深い影としてのホリゾントのなかに沈めると、小口の白さが際立ってくるではないか。見ているだけでも充分に美しく、その様子を写真に撮っただけでも満足だが、ここにあるだけでもいいから全冊を使いきったなら、それはどんなに爽快なことだろう。

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 上の写真に十八冊も写し撮られているのは、ドイツ製の手帳サイズのスモール・ノートブックだ。二十年ものはもうないとさきはど書いたが、これはひょっとしたら貯蔵期間は二十年を越えているかもしれない。方眼、横罫、白無地と、三とおりある。短編小説のアイディアはこれに書こう、と何度も思ったのだが。

 そして次ページ〔下〕の上にはクレール・フォンテーヌの手帳サイズのノートブック。戯れに数えてみたら二十五冊あるが、これで全部ではなくもっとある。これも僕を誘ってやまない。何冊かは実際に使ったし、それをもとにして本を書いたこともある。じつに快適なノートブック体験だった。その下にあるのは「ダック・ノート」と呼ばれている丸善のノートブックだ。三とおりの大きさのものが、写真のなかで冬の陽ざしを受けとめている。

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 65ページ〔下〕上のブルーの表紙の薄いノートブックはスイスのエルコ製だ。いちばん左にあるのがおそらくその初代で、知人がヨーロッパから送ってくれた。一冊だけいまも残っている。そこから右に何冊かが、二代目に当たる。そしてページの端がめくれた様子を表紙にデザインしたものが、現在のものだ。

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 ページの上部をスパイラルで綴じたライティング・パッドが何種類か続く三点の写真のなかにある。横綴じのノートブックを使うときとは、また違った心の働きを引き出してくれるような気がしているから、天綴じものも見逃すことはできない。それからロディアのA5サイズのライティング・パッドだ。横罫で百五十シートあるものが僕の好みで、これを使い始めるとなぜかこれだけを使い続ける。おなじくA5という標準サイズの、四穴バインダーに使うルースリーフは、これもスペイン製だ。インデックス・マージンの印刷された紙が、ここで初めて登場する。白いページの左側に、インデックス・マージンの直線が見える。

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 このインデックス・マージンがないと、どんなノートブックも僕にとってはノートブックにはならない。マージンが印刷してなければ、自分でその線を引くほかない。70ページ〔下〕にある写真では、自分でマージンを引いたノートブックと、そのための道具が紹介してある。透明な薄い緑色の、マージン引き専用ではないかと思う定規と、カラン・ダッシュの芯とそのホルダーだ。この芯は赤ともオレンジ色ともつかない、そこはかとない色合いなので、僕はマージン専用に使っている。次はこれにしようときめたノートブックにマージンがなければ、この三つの道具で僕はマージンの線を引く。右側のページしか使わないから、まんなかの綴目に定規を当て、上の罫から下の罫まで、すっと一本の線を引くだけでいい。

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 積み上げられた大きなサイズのノートブックのかたわらを、呆れたような表情のセバスチンが、陽ざしのなかを歩いていく。うしろ姿だから写真ではその表情は見えないけれど、ふと振り返ったとき、そんな顔をしているのを僕は何度も見ている。

底本:『なにを買ったの? 文房具。』東京書籍 2009年

|制作舞台裏|書くことの根幹へ|斉藤典貴(晶文社編集部)

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11月11日刊行!『万年筆インク紙』

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自分の思考が文字となって紙の上に形をなす。
頭の中にうかんだ小説のアイディアをメモするための万年筆、
自分の思考をもっとも良く引き出してくれるインクの色、
そして相性のいいノートブックとは──。

作家・片岡義男が道具から「書く」という仕事の根幹について考えた
刺激的な書き下ろしエッセイ。


晶文社|ISBN:978-4-7949-6939-2 C0095|定価:本体1800円+税|四六判変型|288頁

デジタルの光で観る|『なにを買ったの? 文房具』

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新刊刊行に合わせて、サポータ用の写真アーカイヴ「片岡フォト」から『なにを買ったの? 文房具』を一般公開中。写真を選んでクリックすると一枚単位で拡大できます。ステッドラーのブルーの水彩色鉛筆もじっくりご覧になれますよ。

タグで読む01▼|文房具

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片岡作品の代表的なキーワードを選んで作品をご紹介する企画、第1回は「文房具」です。エッセイや小説の末尾にキーワードがこんなふうに並んでいますが、

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これを“タグ”といいます。このタグをクリックすると、キーワードに関連した作品をまとめて読むことができます。まだ作品の少ない言葉も多いのですが、ある程度まとまってきたものを中心にご紹介してゆきます。

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2009年 『なにを買ったの? 文房具』 ノートブック 文房具 書く
2016年11月15日 05:30
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