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鉛筆を買う、という趣味の始めかた

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 自宅にいくつもある万能収納引き出しのなかのひとつに、ステッドラーの鉛筆を二十本ほど見つけた。鉛筆だけではなく、ペンシル・ホルダーつまり補助軸、スティック型の消しゴム、変換スケール、鉛筆削り、芯ホルダー、芯削りなども、いっしょに見つかった。

 ステッドラーの鉛筆の黒い端や、軸の青い色に対する印刷文字の白さなど、いくつかの要素がひとつにまとまって視覚をとおして僕に作用するとき、ああ、こんなところに自分がいる、と僕はほんの一瞬だが、かならず思う。かつてかなり長い期間にわたって、ステッドラーの青い鉛筆で僕は原稿を書いた。三十代になってからだ。それ以前、二十代にも鉛筆を使ったが、銘柄に関してはっきりした記憶はない。軸の色は黄色で端には消しゴムがついていたから、アメリカ製の普及品、たとえばタイコンデロガのM2だったか。

 万能引き出しのなかに見つけた二十本ほどのステッドラーの鉛筆を、マグ・カップのなかに立ててみた。かつて使った名残の品ではなく、その後ずっとあと、折りにふれて、ふと小さな気まぐれを起こしては、三本、四本と買ったものだ。使おうという気持ちも多少はあったのだろう、Bから上が8Bまで、一本ずつだがすべて揃っている。5Bから芯が太くなっていく。8Bの芯はほんとに太い。軸はおなじだから、太い芯をくるんでいる木材の厚みがほとんどない。枡目の大きな原稿用紙に、この8Bで文章を書いてみたらどうか。

 二本ある2Bのうち一本は半分ほどの短さだが、これはホルダー(補助軸)に入れてみるために、一本を半分に切った結果なのだと、さきほど思い出した。アルミニウム製のホルダーは使い心地がいい。一本の短い鉛筆が、少なくとも指先に持ったときの感触としては、まったく別なものになるのが楽しい。ほどよい重さが加わることも、使い心地の良さの一因となっているはずだ。逆さに差し込んで回転部分を締めておけば、短い鉛筆の保護ケースになる。クリップがついているから、ノートブックやポケットにはさんでおける。端には消しゴムがついている。五ミリ径の白い円柱の消しゴムで、長さは二センチだ。繰り出し式になっている。これが小さなケースに三つ入ったスペアが市販されている。鉛筆をめぐっては、環境の整備はいたれりつくせりだ。

 ステッドラーの鉛筆その他がカップに立ててある様子を僕は写真に撮ってみた。いい景色だ、と僕は思う。その景色を眺めていて、鉛筆を買う、という趣味を思いついた。ふと気持ちがそちらへ向いたとき、ひとときを文房具店で過ごして鉛筆を買うのだ。気に入ったものを、そのときどき、三本、四本と買っていけばいい。

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 せっかくの思いつきだから実行してみた。まずそれ専用の鉛筆立てが必要だと思い、透明なプラスティックの円筒という、ただそれだけのデザインが簡潔に美しい、トルコ製の鉛筆立てを三個、買った。直径七センチで高さは十センチ。何本もの鉛筆を立てておくのにちょうどいい大きさだ。趣味として買い集める鉛筆で、この鉛筆立てひとつがたちまちいっぱいになった。数えたらちょうど六十本あった。

 ぜんたいの様子を眺め、一本ずつ抜き出しては観察する。たいへん面白い。じつにいろんな種類がある。たまたま抜き出した一本はステッドラーの三角軸のものだ。三角軸の周囲は三センチだ。

 エルゴソフト、と軸に印刷してある。なんとなく軟らかい感触がある。握りやすいかもしれない、とは思う。鉛筆への入門用、つまり子供に向けたものなのだ。「イニシアシオン・レクリチュール」と軸に印刷してある。書きとめておく、という営みへの入門ないしは手ほどき。持ち主の名前を書く部分が軸に作ってある。六つある軸の面のひとつを端で平らに削って木材を出し、そこに名前を書いた数十年前を、僕は思い出した。追憶はエクリチュールにとっての基本的な素材のひとつだ。

 さまざまな鉛筆を買い集める趣味から、当然のこととして派生する問題は、色鉛筆をどうするか、ということだ。好きな色から一本、また一本と買うのがいちばん穏やかでいいと思うが、最多色の箱入りないしは缶入りを買ってしまえば、それに関してはそこで完結となるから、この買いかたも捨てがたい。ステッドラーの水彩色鉛筆のなかから、ブルー系統を七本、買ってみた。右ページ〔下〕の写真にあるとおりだ。写真に撮った上であらためて観察すると、色というものの奥がいかに深いか、痛切に感じることができる。

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 箱買いや缶買いをした鉛筆が何種類もある。買うための鉛筆だから、いったん買ったらそのまま、デッド・ストック状態だ。ごく最近の缶買い鉛筆は、下の写真にあるとおり、一八三二年に創業したイギリスのダーウェントというメーカーの、チャーコールつまり白と黒だけで絵を描くための鉛筆だ。缶のなかに六種類の鉛筆とドイツ製の鉛筆削りがひとつ、セットになっている。ダークとメディアムの黒い色がそれぞれ二本、さほど黒くないライトが一本、そして白い色のパステル芯のが一本。この白い色はチャイニーズ・ホワイトだそうだ。鉛筆の芯が木材ではさみこまれている様子を、イギリスの英語ではウッド・ケースど言っているようだ。ひとつの缶に入ったこの六本の鉛筆があれば、目に見える世界、見えない世界すべてひっくるめて、あらゆるものを画像として紙の上に描き出すことが可能なのだ。

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底本:『なにを買ったの? 文房具。』東京書籍 2009年

|制作舞台裏|書くことの根幹へ|斉藤典貴(晶文社編集部)

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11月11日刊行!『万年筆インク紙』

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自分の思考が文字となって紙の上に形をなす。
頭の中にうかんだ小説のアイディアをメモするための万年筆、
自分の思考をもっとも良く引き出してくれるインクの色、
そして相性のいいノートブックとは──。

作家・片岡義男が道具から「書く」という仕事の根幹について考えた
刺激的な書き下ろしエッセイ。


晶文社|ISBN:978-4-7949-6939-2 C0095|定価:本体1800円+税|四六判変型|288頁

デジタルの光で観る|『なにを買ったの? 文房具』

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新刊刊行に合わせて、サポータ用の写真アーカイヴ「片岡フォト」から『なにを買ったの? 文房具』を一般公開中。写真を選んでクリックすると一枚単位で拡大できます。ステッドラーのブルーの水彩色鉛筆もじっくりご覧になれますよ。

タグで読む01▼|文房具

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片岡作品の代表的なキーワードを選んで作品をご紹介する企画、第1回は「文房具」です。エッセイや小説の末尾にキーワードがこんなふうに並んでいますが、

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これを“タグ”といいます。このタグをクリックすると、キーワードに関連した作品をまとめて読むことができます。まだ作品の少ない言葉も多いのですが、ある程度まとまってきたものを中心にご紹介してゆきます。

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11月12日|万年筆についての文章


11月11日 |万年筆で書く


11月1日 |一本の鉛筆からすべては始まる


11月6日 |彼は鉛筆を削りながら交差点を渡っていった


10月20日 |父親と万年筆


10月19日 |鉛筆を削る楽しさ


4月1日 |なにもなしで始めた


2009年 『なにを買ったの? 文房具』 ステッドラー 文房具 書く 鉛筆
2016年11月14日 05:30
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