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消すことによって生まれる新たな可能性

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 書き間違えた文字や図形を消し去る道具が消しゴムである、という考えかたは消極のきわみであり、それゆえに、不毛をもきわめている。そしてその不毛は経過していく時間のなかでさまざまに連鎖し、遠からずや人生の不幸の始まりを作る。

 消しゴムは、じつは、まったく新たな可能性、というものの権化なのだ。いったんは紙の上に書きとめられた文字や図形が、正しくない試みであることに気づいた人は、それらを消しゴムで消し去り、新たな試みを書きとめ直す。正しくないものを、いまだ不充分なものなどを、消し去ることによって、そこにより正しい試みへの道を、消しゴムは用意する。消しゴムによって消されたあとには、広大な可能性の地平が出現しているのだが、多くの人はその事実に気づかない。

 間違えて書いた文字や図形をただ消すだけという、つまらない役目に甘んじた無数の消しゴムの身の上について思いつつ、まだ使用されていない新品の消しゴム群をひとつずつ見ていくと、そのどれもが、どこかに潜在しているはずの新たな可能性というものを、その一身に体現している様子には、畏敬の念すら覚える。消しゴムは、そのぜんたいが、可能性なのだ。

 そしておそらくそれゆえに、どの消しゴムも、自己の内部に向けて、強力に求心している。新品の消しゴム群を撮った写真のなかで、どこにでも貼りつくスティッキーという人物が、消しゴムの山を前にした黒いケント紙のホリゾントに貼りついて、消しゴムのクリエイティヴな可能性に驚嘆している。

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 消しゴムの集合写真を撮り終えたあと、思いがけないところから新品の消しゴムがいくつか出てきたり、あるいは店で遭遇したりして、次第にその数が増えていく。いくつか以上の個数になると、それらは少なくとも新たな集合ではあるだろう。集合とは、意味の一種なのか。消しゴムの集合の意味とは、なになのか。

 すでに書いた僕の消しゴム論の延長では、集合する消しゴムは無限の可能性の象徴だが、集合には、おたがいの造形の違いの比べあい、という意味もあるようだ。ひとつところに集うことによって、それぞれの造形の差異が明確になる。さまざまな造形があってそこに光が均等に当たれば、それは16ページ〔上の画像〕にあるように、写真に撮ることができる。

 いくつかの消しゴムの造形が集合している様子をマクロ・レンズごしに一眼レフのファインダー・スクリーンに見ながら、それぞれの消しゴムがいつの日にか人の手に渡ることについて、僕は思う。人の手に渡った消しゴムは、文字や線をしきりに消すことだろう。消されたあとに登場する新たな可能性、という可能性に身を挺しきり、いまやすっかり汚れて小さくなりつつもなお、紙の上に書かれたものを、その次に来るかもしれない新たなる可能性のために、さらにその身を挺して消し続けるという未来の姿を、いまはまだ新品の造形のなかに僕は見て、それこそを写真に撮ろうとしているのではないか。

底本:『なにを買ったの? 文房具。』東京書籍 2009年

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『なにを買ったの? 文房具』 文房具 消しゴム 道具
2016年11月4日 05:30
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