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外観と内容の関係

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 一九八八年の大統領選挙にむけて、何人もの候補者たちが活動をすでにはじめている。CBSのイーヴニング・ニュースで観た、民主党の候補者たちについての小さなレポートは、面白いものだった。そのレポートによると、民主党の候補者たちの多くが、かつてのジョン・F・ケネディのさまざまな演説のなかから借用してきた言葉やフレーズを、そのまま自分たちの演説のなかに登場させていることが、おそらくは多少の誇張とともに、わかった。

 ケネディが演説している様子をとらえたフィルムの断片が、TVの画面に写し出される。そのなかでケネディが語っている言葉を視聴者に聞かせたうえで、画面は一九八八年の選挙の候補者たちのひとりの演説の場面にきりかわる。その候補者は、たったいまケネディが昔のフィルムのなかで言っていたのとおなじこと、おなじ言葉を、そっくりにくりかえしているのを、視聴者は観ることができる。おなじ技法で、何人もの候補者たちとその言葉使いが、TV画面のなかで紹介されていた。

 ケネディの言葉をそっくり借りながら、彼らが言わんとしていることは、すべておなじだった。アメリカを再び世界でもっとも強い、唯一の大国に、我々の手で戻そうではないか、ということだ。全員が、そろって均一に、そう言っていた。

 ケネディを借りてそんなふうに言う候補者たちのむこうに、いまのアメリカの人たちの本音はもちろんはっきりと見えるけれど、アメリカを世界一の強い国に、という言いかたは、本音であると同時に、多分にスタイルの問題でもあるのではないか、とぼくは思った。

 スタイルとは、要するに外観だ。ケネディのかつてのさまざまな演説は、ケネディのスタイルだ。八八年の候補者たちがケネディの言葉をそっくり借りてくるのは、ケネディのスタイルの借用だ。そして、借用するからには、そのスタイルがいまのところもっとも有効だという判断が、確かに働いているはずだ。

 八八年の候補者たちによっていまさかんに借用されているケネディのスタイルは、内容をともないつつそれだけ有効性が高かったことの証明だと言っていい。有効なスタイル、つまり人々に広く支持され、強い好意を持たれ、大いに好かれるようなスタイルをまず自分のものとして持たないことには、アメリカではなにもできない。大統領候補などはその最たるものであり、逆に考えるなら、有効なスタイルを駆使することができさえすれば、内容はほとんどなくてもかなりのところまでいける、というアメリカ的光景の現実が見えてくる。

 現在のための有効なスタイルを、過去のケネディに求め、それを利用して候補者たちは陳腐な演説をくりかえしている。アメリカが世界一になるためには、こいつが邪魔だ、あいつがいけないと、世界じゅうの国々が、アメリカだけの都合にあわせて、かたっぱしから名指しで批判され続けるだろう。アメリカが世界一位になるということは、世界ぜんたいがアメリカ式になるということであり、このアメリカ式に対して世界がいっせいに真剣な批判を開始する日は、それほど遠くない。

 アメリカの大統領選挙は、じつに不思議で奇妙なものであり、その奇妙さについては多くのことを書きうると思うが、別の機会に譲ろう。ほかのことに話題を転じよう。

 ローマ法王のアメリカ訪問をきっかけにして、法王とその訪問とをちゃっかりと利用したさまざまな小さな商いが、法王の訪問先のいたるところで、次々に考案され、実行に移された。 いわゆる便乗商売だが、このような商売につきものの趣味の悪さは健在であり、しかもインスピレーションのもとは法王なのだから、趣味の悪さにおいては史上最悪の便乗商品と人々が言う商品が登場したのも、うなずけなくはない。

 「趣味の悪さではスペクタキュラーであり、おそらく史上最悪だろう」と人々が苦笑ととも に指摘した商品は、法王型芝生スプリンクラーだった。法王をおおざっぱに描いてその形に切り抜いた、子供の背丈ほどの板を芝生に立て、その法王の両手の裏にスプリンクラーの先端を固定して水を出すと、法王の両手の先から聖なる水が噴霧されているように見える。値段は六十ドルくらいだったと思う。かなり高い。そしてその法王には、Let us pray. をもじって、Let us spray.と印刷してある。

 映画俳優のクリント・イーストウッドが市長を務めるカリフォルニアの町、カーメールでは、Go ahead, bless my day.という文句を法王の肖像とともに印刷したバッジが登場した。イーストウッドが主演したダーティ・ハリーのシリーズのなかで彼によって使用され、流行言葉ともなった台詞 Go ahead, make my day.をもじったものだ。よく考えるものだと、ぼくは感心する。趣味の悪さとともに、そこから派生してくるユーモアもまた、健在だ。

 どの便乗商品もそれぞれにアメリカ的だったが、ぼくがもっとも苦笑したのは、法王の帽子だった教会の塔を模したような丈の高いかぶりものがあるが、これをほんとにおおまかにプリントしてその形に抜いた一センチほどの厚さの、柔軟性のあるウレタンの板を何枚かこわきにかかえて、ひとりの男が街角で商売をしている。とおりかかった人をつかまえては、彼はその帽子を売るのだ。買ってくれる人がいると、その男は、ウレタンの板をくるっと輪にしてステイプラーで上下二か所を簡単につなぎあわせ、客の頭に乗せてあげ、サンキューと、陽気に楽天的に言う。客は、そのかぶりものを頭に乗せ、うれしそうに歩み去る。買う人ごとにスティプラーでつなぐところ、そして、サンキューというひと言の、その言いかたに、アメリカらしさがにじみ出ていた。

 エイズにかかっていて、確実に死にむかいつつあるひとりのホモ・セクシュアル男性が、自室の椅子にすわり、TVの画面で法王をじっと観ているというシーンも、法王のアメリカ訪問のニュースのなかにあった。エイズは神にそむく行為に対する「ナチュラル・サンクション」である、という言いかたないしは考えかたがじつは広くいきわたっていて、ホモ・セクシュアルの人たちに対するおそらくもっとも脅迫的な壁となっている。このようなことに関して法王がなんと言ってくれるか、ホモ・セクシュアルの人たちには強い関心がある。法王は、ぼくがこれまでに画面で観たかぎりでは、すべての病気の人たちに対して深い同情を寄せる、というかたちの発言をしていた。

 日本製のラジオ、カセット類をハンマーで叩きこわしてみせた議会の議員たちが、しばらくまえにニュースとなった。この子供じみた行為の延長的なヴァリエーションを、ぼくはアメリカのTVニュースの画面で観た。日本製、そしてヨーロッパ製とおぼしき自動車のポンコツを横にずらっと並べ、古い形式の戦車でその自動車を端から踏みつぶしてみせる、という行為だ。すべてを踏みつぶしおえて、砲塔から上半身を出していたひとりの男は、「サヨナラ、輸入品!」と叫んでいた。

 これを観たのとおなじ週のニュースのなかで、アメリカの貿易赤字がいっこうに減少しないことを伝えるニュースも、ぼくは観た。なぜ減らないかというと、外国から続々と品物が入ってくるからであり、なぜ入ってくるかというと、それを買う人たちがたくさんいるからだとそのニュースは当然のことを解説していた。なぜ外国製を買うのか、その理由を、服を買っているひとりの若い女性が説明していた。外国製のほうがはるかに品質が高いので外国製を買うのですと、彼女は言っていた。   

(『個人的な雑誌2』1985年所収)

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1980年代 1985年 『個人的な雑誌2』 アメリカ ジョン・F・ケネディ 大統領
2016年10月12日 05:30
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