700編以上公開中今を映す手鏡のように
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2018.4.25
一九六七年の風景に淡い思い出が甦る
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〈書評〉加藤嶺夫著『加藤嶺夫写真全集 昭和の東京1 新宿区』  この本に収録されている二百二十七点の写真のうち、時間的にもっとも遠いのは一九六六年に撮影されたもので、現在にいちばん近いのは一九九七年の撮影だ。失われた東京…
2018.4.23
均衡を失う日本を考えるための定点
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〈書評〉パール・バック著、丸田浩監修、小林政子訳『私の見た日本人』  パール・バックの両親は一八八〇年、明治十三年に、アメリカから中国へ渡った。父親は理想に燃える宣教師、そして母親はその新婚の花嫁だった。中国に到着するま…
2018.4.20
十年に一度の面白さと言っておこう
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〈書評〉マイク・モラスキー著『呑めば、都 居酒屋の東京』  日本の国立大学で教授として教えている著者のマイク・モラスキーさんは、教職員の健康診断の一部分として病歴や生活習慣などについて自己申告する書類のなかで、「酒の量」…
2018.4.18
漱石文学の“会話”の深さに驚嘆する
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〈書評〉小林千草著『「明暗」夫婦の言語力学』 『坊っちゃん』は子供の頃に読んで楽しかった。大人になってから何度か読み返した。そのつど痛快な気持ちになった。それ以来の夏目漱石として、たまたま書店で手に入れた、『草枕』の英語…
2018.4.16
塩田も遊園地も…絶滅の景色が浮かぶ
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〈書評〉今尾恵介著『地図で読む昭和の日本』  明治時代の終わり近くに整備が進み、平成に入っても続いていた日本国家の営みのひとつに、国土地理院が発行している一万分の一縮尺の地形図がある。地形はもちろんそこに記録されているが…
2018.4.13
眠れる東京の坂や谷が目覚める
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〈書評〉大竹昭子著『日和下駄とスニーカー 東京今昔凸凹散歩』  僕は東京の人だが、これまで生活してきたのは、坂も階段もないところばかりだった。東京が持ついくつかの特異性のうち、最大のものはその地形であると気づいたのは、四…
2018.4.11
自己都合の神などそもそも居場所はない
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〈書評〉土井健司著『キリスト教は戦争好きか キリスト教的思考入門』  人と人との関係はいまごく部分的な要素だけで成立している。かろうじて維持している役割、機能、立場などだけで、人は人との関係を作っている。いまの日本ではこ…
2018.4.9
いま日本語は“既知の壁”に囲まれている
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〈書評〉坪内雄藏著『國語讀本 尋常小學校用』  国語が日本国家によって教科として制定されたのは明治三十三年、一九〇〇年のことだった。この頃の教科書は文部省による検定制という自由競争下にあり、一定の様式だけは守った凡庸な内…
2018.4.6
飛田の絶望感、これは日本そのものの物語だ
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〈書評〉井上理津子著『さいごの色街 飛田』  飛(とび)田(た)は大阪市の西成区にある。地下鉄の動物園前駅を降りて南側の出口を上がり、動物園前一番街という商店街をいくのが、現在では飛田への唯一の道だ。百六十軒ほどの「店」…
2018.4.4
春まだ浅く、三冊の本を買った夕方
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 今年の春がまだ浅かった頃、平日の夕方、僕はその大きな書店に三階から入った。奥のエスカレーターでいつものように六階へ上がった。六階の三分の一ほどが洋書売り場だ。洋書売り場の客になると、そのとたん、やや誇張して言うなら、僕…
2018.4.2
故国を探した作家の失望の旅とは
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 ジョン・スタインベックというアメリカの作家は、一九〇二年にカリフォルニア州のサリーナスに生まれた。スタンフォード大学に入った十七歳くらいの頃まで、スタインベックはサリーナスで過ごしたようだ。サリーナスやモンタレーなどを…
2018.3.30
自動車泥棒のビューイック・リヴィエラ
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 写真のなかで左から二番目にある『自動車泥棒』という小説は、シャーウッド・アンダスンの『オハイオ州ワインズバーグ』とともに、僕にとってはもっとも記念的な小説だ。読みながら受けとめたスリルと共感の密度や高さ、そして読み終え…
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