今日のエッセイ|2つの写真|僕の国は畑に出来た穴だった

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▼ 8月14日|片岡義男エッセイ365|僕の国は畑に出来た穴だった

片岡さんがルーペで見ていた写真の撮影時期の異なるものが2葉、WEB上にありました。

1葉目が爆撃直後(岩国原爆と戦争展HP)、2葉目は1947年3月18日撮影ですから、片岡さんが見たものの9ヶ月ほどまえに撮影されたものになります(山口県文書館HP)。中央を走るのが山陽本線。爆撃の目標となった岩国駅周辺です。米国の国立公文書記録管理局で閲覧できるそうです。

1945年3月の東京大空襲を前後して米軍によってはじめられた空襲は、およそ200都市で200回(国内各都市の戦災の状況)を上回りました。死者数は記録者によって異なりますが25万〜100万といわれています。

片岡さんが疎開していた山口県の岩国では、この年、およそ9回の空襲がありました。最後となった8月14日は、もっとも被害が大きく、「岩国市史」の公式記録では名前のわかる人で死者517人(諸説あり)とあります。

お昼前、駅に2つの電車がホームに到着した直後から30分にわたって行われた「絨毯爆撃」でした。この日は大阪城周辺など8都市、終戦となる15日当日も神奈川の小田原と秋田の土崎の二箇所で空襲が行われています(米軍機による日本本土空襲)。

当時の証言は、よく探すとWEB上のあちこちに残されています。「爆弾の穴」についても、複数の方が語っています(***** など)。古いサイトも多いので、10年後どのくらい残っているでしょうか。

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米軍が見た東京1945秋』佐藤洋一|2015
昨年発売されたGHQの占領期の東京の写真を集めた写真集。5月の週刊朝日で片岡さんが書評。推薦の一冊。

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『日本語の外へ』片岡義男|1997

2016年8月14日 21:46